2024年4月23日火曜日

2024年4月28日(日) 復活節第5主日礼拝

 招 詞:ガラテヤの信徒への手紙5章25節

交 読:詩編106:1-5

聖 書:ヨハネによる福音書15:18-28

賛美歌:21-211、565、342 、

    64(奉献)27(頌栄)

説 教:「わたしと一緒にいたのだから」


《今週の説教》

イエスの教えに「従う」、ということはまさしく茨の道、弟子たちは、イエス・キリストによって世から選ばれた故に、世から憎まれ、迫害される予告を受ける。イエスがこの世に来られ、人々の前で神の業を示されたということによって、信じる道が開かれた。一方で、神の業を信じることができない人々もいた。

26節より。「私が父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方が私について証をなさるであろう」。いったい何を信じて歩めばわからなくなるような混沌の中にこそ、助けとなる「弁護者」・「真理の霊」が来るのだとイエスは語る。真理とはなにか、それは混沌とした闇の中に光あれと、世界を創造した神のみわざ。人の生きるこの世へ光をもたらし、自由と平和を賜る唯一の神の言葉。そんな真理の霊が、イエス・キリストについて証をする。そんな希望の約束が与えられているのだ。

ガラテヤ524より、「キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです」。キリストが苦しんでかけられた十字架に私たちの憎しみを、妬みを、罪を、すべて一緒にかけてしまった。だから、自分の迫害の痛みの為に神の言葉を用いて、戦う必要はない。この世において苦しいこと、つらいこと、痛ましいことというのはある。それでも、そんな私たちを世から選び、そして私たちの元にイエス・キリストが復活の希望と共に、真理の霊というみちしるべを与えられた。

27節より。「初めからわたしと一緒にいたのだから、証をするのである」。信仰の先人の歩みから、沢山の証を受け取ってきた。そこには、たしかに神が共にあり、霊に導かれた信仰があった。霊によって歩む生き方はイメージすることが難しいかもしれない、しかし、教会に集うひとりひとりが霊によって導かれているのだ。さぁ、霊によって、また進もうではないか。