2020年7月26日日曜日

メッセージ「座り込んでいるあなたへ」

奈良教会 牧師 汐碇 直美


<マルコによる福音書21317節>

そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。(14節)

 

徴税人レビが、イエスさまの弟子として招かれた―当時の人々にとって、これはショッキングなニュースでした。それは、徴税人は罪人だと周囲から見られていたからです。どうして彼らが罪人なのかと言うと、律法を知らず、守ることのない異邦人(=罪人)と仕事柄、頻繁に接するからです。その上、自分たちを支配するローマ帝国にその税金を納める彼らは、「裏切り者」とのレッテルが貼られていました。さらに悪いことに、彼らは人々から多めに徴税しては、差額を懐に納めていたのです。少なくとも最後の問題に関してだけは、嫌われてしまうのも無理はない、とも思えます。


 収税所に座り込んでいるレビを、しかしイエスさまだけは、全く違う目で見てくださいました。愛と憐れみのまなざしをレビにも注ぎ、「わたしに従いなさい」とただ一言、おっしゃいました。すると窓口に座り込んでいたレビは立ち上がり、イエスさまに従っていったのです。彼はこの時、新たな人生を自ら選び取りました。人々の蔑視にさらされ、悪口を言われるがまま、お金だけを友とし、空しさを抱えた日々。停滞しきっていたそんな人生から、彼は立ち上がり、訣別しました。イエスさまのあのまなざしと、「わたしに従いなさい」とのたった一言、これだけが彼の人生を変えたのです。


 レビの寂しさも意地汚さも弱さも罪深さも、全てわかった上で、黙って招き、受け入れてくださる方がいる。「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(ローマの信徒への手紙5章20節)と語ったのは使徒パウロでしたが、それは自分の罪深さを知るほどに、その罪を赦してくださる神さまの恵みの大きさ、憐れみの深さがよくわかるようになるからです。


 私たちは、自分の病や罪に気づいているでしょうか。座り込んでいるあなたへの、神さまからのメッセージが届いているでしょうか。他でもないこの「私」の罪を赦すため、主イエスはこの世に来てくださった。そう信じることができたなら、あなたの身に注ぐ恵みは、さらに増していくでしょう。